2020年9月25日(No.13)
「潜水艦とフレッド・アステア」
今回は、1930年代の世界恐慌の中で、アメリカの投資家と一般大衆から絶大な人気を集めた一つの会社と、一人の人物をご紹介します。
下の写真の人物は、ジョン・フィリップ・ホランドという1840年アイルランド出身の潜水艦技術者です。彼は後に自分の潜水艦デザインを携えてアメリカに渡りますが、それを基にした潜水艦をアメリカ海軍向けに製造する会社が1899年にニュージャージー州に出来ます。エレクトリック・ボート社(Electric Boat Company)です。
当時は潜水艦を製造できる会社が他になかったため、その評判を聞きつけた英国、ソ連、オランダ等は、列強国間の対立が深まる中、相次いで同社デザインの潜水艦を採用します。日本海軍向けにも、写真の第1号の潜水艦(ホランド型、当時は潜水艇と呼ばれていた)が、日露戦争の終結前後の1905年に竣工します。後にホランドは、「近代潜水艦の父」と呼ばれるようになります。
ジョン・フィリップ・ホランド |
「第一型潜水艦」全長20.42m |
エレクトリック・ボート社は現在、世界有数の防衛宇宙防衛企業であるジェネラル・ダイナミクス社の一部門になっていますが、同社の株価は1932年から1954年までの間に、なんと50,000%上昇しています。勿論アメリカ株の中ではダントツの上昇率です。もし100万円を投資していたら、5億円になった計算です。その約20年間には、第2次世界大戦中も潜水艦を製造できる会社はたった2社しか米国にはありませんでした。因みに、世界最初の原子力潜水艦「ノーチラス」(写真)も同社が製造しました。
「ノーチラス」1954年竣工 全長97.5m |
イーロン・マスクとテスラのEV |
私には、このエレクトリック・ボート社の株価急騰の背景が、今年に入りコロナウイルスの感染拡大による世界経済への深刻な打撃が懸念される中、株価が急上昇している、写真のイーロン・マスクCEO 率いる電気自動車(EV)のテスラ社に似ているような気がします。両社には、膨大な時代の需要に応えられる技術力、製造力があります。そして強力なブランド力があります。
さて次は、「20世紀最高のファッションアイコン」と称されるフレッド・アステア(写真)の登場です。彼は、エレクトリック・ボート社が設立された年と同じ1899年に、アメリカのネブラスカ州のオマハに生まれました。ダンサーとしてデビューし、姉のアデルとのコンビでブロードウェイなどの舞台で人気を博しました。1930年代から1950年代にかけては、今度は下のポスターにあるように、ジンジャー・ロジャースとのコンビでハリウッドのミュージカル映画の全盛時代を築きました。
トップハットに燕尾服、ホワイトタイというエレガントなスタイルで、当時最高の作曲家たちによるナンバーを歌い踊るアステアは、不況下のアメリカの大衆を熱狂させました。
1935年のミュージカル映画「トップハット」のアステア |
ジンジャー・ロジャースと共演 |
“Do it big, do it right, do it with style.”(大きくやれ、正しくやれ、そしてスタイルをもってやれ)はアステアの言葉です。
彼の身長は175センチ、体重は61キロでした。また、お世辞にもハンサムではなく、ラブロマンスに向いた俳優でありませんでした。なので、誰にも真似の出来ない自分のスタイルに磨きをかけて、完璧な服装と自分の体型だから成し得る、エレガントで洗練されたパフォーマンスで大衆を魅了しました。
大恐慌下のアステアの人気は、辛い現実からの Escapism(逃避主義)だとも言われます。映画館で観る彼のダンスは、大衆を苦しめている経済と心理の恐慌を踊り飛ばしてくれるような躍動感がありました。
この逃避主義は、昨今の日本で1つの社会現象になっている「半沢直樹」(写真)にも当て嵌まりそうですね。数多くの歌舞伎スタイルを取り入れたこのドラマは、あたかも現在のコロナ不況を倍返ししてくれる迫力があります。
それと興味深いことに、フレッド・アステアと半沢直樹はスタイルを比べてみても、ご覧のように白と黒で纏めたシンプルな服装に中にエレガンスを感じさせるところが似ていますね。
82歳のアステア |
半沢直樹 |
以上、今回は大不況と第2次世界大戦が迫る緊迫した世界情勢の中で、株価が大化けした潜水艦の会社と、当時の人々を、いや今でも見る人を魅了して止まないダンサーをご紹介しました。
アフターコロナのこれからの世の中でも、人の心をつかむのは、テクノロジーとエレガンスです。